例えば 芸能人で あの人嫌いとか言っても、 それは その人が嫌いなのではなく、その人の芸風や、芸能活動が嫌いなのだから、もし、直接会ってお付き合いする機会があれば、充分反転する可能性はある。
だから 風評で聞くだけ、一方的に見るだけな人に対しの嫌いは、実際には 本当にその人物が嫌いなのかどうかというと、そこは全く充てにならない。
もちろん、一部の印象が悪ければ、余り近づかないので、本質を知る機会はぐっと減り、嫌いというか「まったく意識下にない人」のまま終わることが多いのだが。
基本的に あまり「嫌い」な人は居ない。というか 嫌いな部分が目につく人には近寄らなかったり 無視したりなので、それ以上その人に迫ることがないから 「嫌い」になれないわけなんだが。
それが 向こうから(それが相手の意思によるとよらずと、関わらず)近寄って来たら、再度自分の中で「嫌い」認定をし直すわけだ。つまり「嫌いな人」は普段は「無い存在」になってしまっているものだから、「嫌いな人は余り居ない」ということになる。
が、芸能人とか有名人とか 勝手に目に飛び込んでくる人は(私にしてみれば 向こうから意思によらずと近づいて来た人になる)しょっちゅう「嫌い認定」をされるわけで、普段「嫌いな人が少ない」もんだから、必然私の中では 珍しく「嫌いな人」の位置を確保してたりする。申し訳ないんだが。
いきなり何の話かと言うと、ある人のことを 私の友人が褒めるんですね。褒めちぎる。歌を歌ってる人なんだけどね。
で、私はその人の歌が 嫌いなんです。何が嫌いって 歌い方と声が嫌い。
音楽は リズムがあって、メロディがあって、演奏があって、メッセージと言うか世界感があって。そのどれもが好みに合致して初めて好きになったりするんだけど、歌声とか歌い方って この演奏の部分ですよね。
これがダメだと、「他の奏者のほうがいいじゃん」となって その歌い手否定になっちゃうわけで、、
まさにそれ。
あのうた、他の人が歌ったほうがいいじゃん、、と いつも思いながら聞くわけです。
そのほうが 世界が広がるのに、、もったいないーーと。
そんなわけで、申し訳ないけど、いくら褒めてもお薦めされても 私には全く解らないし、耳障りなだけです。
その曲がSLで流れてたりしたら、即刻 イヤホン外すくらい 耳障りでイヤ。
もちろん その歌い手さんとあったことも無いし、どんな人なのかも全く見当つきませんから、いやなのは 歌声と歌い方だけです。
でも 歌い手さんにとっては、それがイヤと言われるのは いちばんショックなんでしょうね、、きっと。
仕方ない 好き嫌いは 単純に好みの問題なんですから。
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