Jackie Mclean聞きたい。。。。LPしか持ってない。ターンテーブルない。。(T_T)
ついさっき、つぶやいたんだけど、SLで彼の音が聞ける場所は、あんまりない。
CD買えって話だけどね。
嬉しいことに、各レーベルは古い音の復刻に、そう消極的でもないようで。
古ければ著作権関係もあんまりややこしくないからか?とか、邪推したりもしてますが、
昔聞いたのと同じ音を、また聞けるのは嬉しいことです。
(細かい違いをあれこれ言えるほど、私の耳は良くない。気持ちよく聴ければOKなんです。)
彼が亡くなったコネチカットには、私の友人が住んでいます。
彼女は、最初海外に住むことを渋っていたのですが、行き先がコネチカットだと解ったとたんに、いそいそと準備を始めた人です。
私よりもかなり若いのに、随分古い曲をよく知っています。
こういうのは、親の影響なんでしょうか?
古いジャズは家で聴いていたって話をよく聞きます。
残念ながら、私の両親は、モダンな家族の中の一番野暮な兄妹を抜き出して結婚させたような2人なので、家でJazzとかはありませんでした。
うちは親戚中、逸話がごろごろの中で、いちばん地味な家族でした。
嫌いじゃないですけどね。
着物を日常にしてくれた母も、活字中毒に育ててくれた父も。
そんな平凡な地味な中で育ったのに、どうも感覚が逸脱してるらしいです。
最近まで知りませんでした。
社会的に逸脱していないから、気がつかないんでしょうね。
大丈夫。ごくごく普通に暮らしてます。
普通じゃないと認識してるのは、本当に身近な人達だけです。
ああ、ちがった Jackie Mcleanの話でした。
私が彼の音を聴いたのは、「家で聴いて育った」人達とは随分遅れて、
もう充分自分の趣味も解り、自分の趣味にかけるお金くらいは、自分で稼ごうと思える頃でした。
Jazzを聴かせる店のマスターって、ものすごく温和か、頑固な親父か、、そんな2パターンのイメージがあるんですが、京都のそういう店は、パターン化しなくて、普通の喫茶店だったり、バーだったりで、自分の好きな音を流してるっていう店が多かったんです。
学生が多い街なので、客の流れも淀まずに、いろんな傾向の店が生き残りやすかったんじゃないかと思います。
私がJazzを聴かせてもらったのも、ごく普通のそういう喫茶店で、いつもは有線が流れてたりもしました。
ふと客の流れが止まって、マスターが手隙になった時に、イタヅラするみたいに笑って、レコードを選ぶマスターが有線から、店の奥のオーディオにラインを変えて聴かせてくれるのは、今ではスタンダードと呼ばれる、古いJazzでした。
古いといっても、当時にしたら、ほんのちょっと前の音楽だったのかもしれません。
耳で聞くだけの私には、その分類は解りません。
今改めて聴いて、「当時に聴いてたもの」と「聴いてなかったもの」で古い新しいがわかるだけです。
昔のJazz menって早死にしてる、、みたいな印象があるんですが、Jackie Mcleanは70歳越すまで生きていました。
1950年代くらいにはもう活躍してたんですから、随分活動期間の長いほうになります。
お亡くなりになったのは2006年、コネチカットでした。
お年を召されてからも大学で教えたりとかなさってたらしく、何かとアンダーなイメージを持たれちゃうJazzの奏者とは、ちょっと違った感じです。
もっとも、体制に拳を振り上げちゃうような側面って、どんなジャンルにもあるから、
アンダーなイメージ先行ってほうが、間違ってるような気がします。
私の好きなJazzって、ラブラブな曲が多いですし。
Jackie Mcleanはアルトサックス奏者です。Left Alone とかは誰でも聴いたことあるんじゃないかなと思います。
ああ、そうか。動画を探すという手段があった!
ここまで書いて、やっとその手段に思い当たるって、、、、ボケてるのかなぁ。
でも、Jackie Mclean、やっぱり買って来よう。
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